後期ソナタは、バレンボイムのような過剰な演出は似合わない思う一方、32番は、淡々と弾くだけではその魅力が出て来ず、
タメなどを用いて、浮き上がってくるものと、背景化するものが入り乱れるのをコントロールする必要があると私は感じています。
奈良場氏の演奏で気になったのは、“間合いの余裕のなさ”でした。
表情豊かな演奏からは、表現技術の高さを感じるのですが、ミスタッチはかなり多めで、それをフォローするために
おそらく演奏家自身の望む音楽からもさらに速くなってしまい、フレーズ間の間合いを生かす余裕を失ってしまうことが多かったように思います。
32番の演奏は、もともと15分半くらいになる(と思われる)早めのテンポで始まりましたが、前半変奏部分の後半の速いパッセージ辺りからミスを連発。
後半のシンプルな主題がトリルを背景に浮かび上がる美しい部分も、ややトリルと主題がチグハグでお世辞にも良い演奏とはいえず
少し残念でした。 (きっともっと落ち着いて弾ける時には、もっと素晴らしい演奏になりそうな感じがするので・・)
アンコールはソナタ第8番「悲愴」の美しい第2楽章。アンコールということもあってか、余裕があって歌うような旋律を魅力的に演奏してくれました。
今回の感想は、コンサートの直前に竹内栖鳳展の後期展示に寄って「斑猫」に会ってきたことも影響しているかもしれません。
「良い技術の獲得というものは、“表現に余裕を与えることができるもののこと”」 という思いが強くありました。
表現に余裕をもたらさない“技術”というものは、まだ本当の意味でその人に“よい技術”が身についていない、ということなのではないか、
などと感じつつ、帰途につきました。